朝来市・生野町黒川 / 古民家カフェ・沖縄料理と地元野菜
六月十七日
堰の下の、遠い島
そらし〜ど(Sora Seed)

雨の中を、朝から登ってきた。
数週を過ごした生野の町を、今朝出た。 町を出る朝の私は、いつも身軽である。 その身軽さが、今日はすこし引っかかっていた。 どれだけ居ても、置いていくものが無い。
道は川をさかのぼって北へ上る。 谷は狭まり、霧が尾根を消し、雨は止まない。 半日を詰めて、谷の突き当たりに出た。 山あいを、見上げるほどの灰色の壁が塞ぐ。 人の拵えた堰である。 あの上には、山を堰き止めた湖が乗っているのだという。 足もとに、小さな集落がうずくまっていた。
集落の北のはずれ、楓の大樹に半ば隠れた古い家の軒に、そらし〜ど、と染め抜いた青い旗が下がる。 戸口には赤い染め布が垂れ、脇で陶の獅子が一対、雨に濡れて座っていた。 沖縄の獅子である。 押すべき戸が見当たらず、家の側へ回ると縁側に出た。 硝子の内へ、ごめんください、と声をかけると、人が出てきた。 昼を頼めるかと訊けば、できるという。 数に限りがあると聞いていたが、間に合ったらしい。 靴を脱いで、畳に上がった。
献立は昼の膳が一本きりで、黒板に横文字でランチプレートとある。 昼の膳、と胸の内で訳しておく。 主菜だけは、その日の数種から選ばせてくれる。 どれも見知った和食の顔ぶれで、私はいちばん和食らしい生姜焼きにした。
器は、やちむんという沖縄の焼物だという。 生姜焼きに生野菜、飯と汁、小鉢がいくつも付く。 噛むと、何かが違った。 脂の甘みが来ない。 箸で裏を返しても、脂身の白い縞が無い。 訊けば、大豆から拵えて、肉に似せたものだという。 主菜は、どれを選んでも大豆だそうである。 選んだつもりでいたが、枠は、はじめから店が握っていた。

騙されたとは思わなかった。 大豆の肉は肉より軽く、軽い分だけ、生姜と飯が前へ出る。 食い違いは、主菜だけではない。 獅子も染め布も器も菓子も珈琲の豆も、この店の装いはみな遠い島のものである。 それなのに皿の真ん中は、この山のものだ。 飯は主が自分の田で育てて天日に干した米、味噌も自分の手で仕込むのだと聞いた。 遠い島の装いの家で、膳の芯だけが深くこの土地に刺さっている。
主は大阪の人で、里の役を帯びてこの黒川へ移り住み、役目が明けたのちも山を下りず、この家で店を開いたのだという。 なぜ遠い島の料理なのかまでは、聞きそびれた。 根というものは、生まれついた土地に張るものだとばかり思っていた。 ここには、あとから選び直して張った根が、一本ある。
朝の引っかかりが、形になった。 私は身軽なのではない。 根を、まだどこにも下ろしたことがないだけである。
仕舞いに、米の粉で拵えたという丸い揚げ菓子、サーターアンダギーが付いた。 珈琲は、赤い花を描いた焼物の碗で来た。

縁側の硝子を、雨がまだ叩いている。 この先も、私はたぶん根を下ろさずに歩く。 それでも、根は選べるのだと、今日の膳で知ってしまった。 碗が冷めるまで、私は雨を見ていた。
本日の皿
看板の皿
物語の余韻を、実際に選ぶ一皿へつなぐ。

品書きから
日替わりランチプレート
民藝風の大皿に、その日の主菜と飯、生野菜。わかめの椀や山菜、豆腐の小鉢がいくつも付き、おやつに米粉のサーターアンダギーが添うのだという。主菜はその日の顔ぶれから一つ選ぶ形で、肉に見えるものは大豆から拵えたものだそうである。ある日の一皿は、目玉焼きをのせたそぼろの飯だった。
公開されている店舗情報とメニュー写真をもとに構成。提供内容は季節や仕入れにより変わるため、訪問前に公式情報またはGoogleマップをご確認ください。
周辺図
道しるべ
〒679-3341 兵庫県朝来市生野町黒川472
イメージ図。正確な道順はGoogleマップでこの文章は、公開されている店舗情報や来店者の声を参考に構成した創作エッセイだ。 営業時間、定休日、メニューは変更される場合がある。 訪問前に公式情報またはGoogleマップを確認してほしい。