朝来市・生野町口銀谷 / ベーカリー

五月二十五日

パンふたつ、姫宮の杜で

焼きたてパン工房Panca(パンカ)

瓦屋根と木の格子戸の古い町屋の戸口に「Panca 焼きたてパン工房」の小さな黒板看板が立つパンカの外観を、料理挿絵と同じモノクロ鉛筆の記憶スケッチ風に描いた装画
装画公開されている外観写真は直接転載せず、特徴だけを参考にしたオリジナル装画

今日は、座らずに昼を済ませてみようと思った。

峠を下りて生野の町に入ったのが、昨日である。 昼は線路ぎわの席に着いて、この土地に伝わる洋食を食べた。 よい昼だったが、思い返せば私はまだ、駅の周りしか歩いていない。 席に着くたび、町は窓の外になる。 今日は昼飯のほうを、歩く道の側へ連れ出したい。

駅から南へ少し行くと、古い家の格子の奥から、パンの匂いがした。 瓦屋根に木の格子戸、戸口のわきに小さな黒板の看板が出ている。 鉱山の役人の住まいの様式を伝える明治の家だと、店先の立て札にあった。 役人の家が、いまはパンを焼いている。

引き戸を開けると、中は思いのほか小さかった。 棚には形の違うパンがずいぶんな種類で並び、どれも小ぶりで、値が慎ましい。 横に長いのをひとつ、丸いのをひとつ、包んでもらった。 この店に、食べるための席はない。 袋を提げて表へ出たところから、今日の昼飯は自分で仕上げることになる。

店のすぐ東に、市川が流れている。 この水が峠の向こうの播磨へ下ってゆくことは、昨日、駅の脇でたしかめた。 今日はその流れを、少しだけさかのぼる。 岸に沿う道は平らで、腕の先で、袋が歩くたびに軽く鳴った。

やがて、白い欄干の橋に出た。 姫宮橋という。 渡った先の山裾に、石段がかかっている。 ふもとの石柱に、姫宮神社と彫ってあった。

市川にかかる白い欄干の姫宮橋と、その先の山裾を杜へ上ってゆく石段、ふもとに立つ姫宮神社の社号標を、昭和文芸誌の手描き挿絵風に描いたモノクロ鉛筆の情景画
姫宮橋を渡ると、石段が杜へ上ってゆく

応永の昔からある社だと聞く。 石段を登りきると、境内には誰もいなかった。 拝殿に手を合わせてから、かたわらの石の上に、袋を開いた。

横に長いのから食う。 干し葡萄と胡桃のパンで、麦の香りのあとから、木の実の油と葡萄の酸みが出てくる。 川の音が、木立の下から上がってくる。 社は応永から、川はそのまた前から、ここにある。 パンは、今朝焼かれたばかりだろう。 この境内でいちばん新しいものを、私がいま、食っている。

境内の石の上に置いた、かじりかけのコッペパンと袋に入ったままの丸いパンを、昭和文芸誌の手描き挿絵風に描いたモノクロ鉛筆の一枚
拝殿のわき、石の上の昼飯

食い終えるまで、誰も来なかった。 鳥の声と、水の音だけの昼である。 昨日の皿の昼が物足りなかったのではない。 ただ、買った飯を提げて歩けば、買う場所と食う場所のあいだに、町がまるごと挟まるのだった。

丸いのは、袋に残したまま石段を下りた。 橋の中ほどで袋から出し、歩きながらかじる。 川の向こうに、瓦屋根の町が低く連なっていた。 今日はもう少し、このまま歩くことにする。

本日の皿

看板の皿

物語の余韻を、実際に選ぶ一皿へつなぐ。

籐のかごに立てて盛られたバタールとベーコンエピを、昭和文芸誌の手描き挿絵風に描いたモノクロ鉛筆の料理画
公開されている写真は直接転載せず、特徴だけを参考にしたオリジナル

品書きから

バタールとベーコンエピ

店の奥のカウンターで、籐のかごにバタールとベーコンエピが立てて盛られている。小ぶりの菓子パンや惣菜パンを数多く焼く店の、麦の香りをそのまま味わう細長い二種。いずれも値は手頃だという。

公開されている店舗情報とメニュー写真をもとに構成。提供内容は季節や仕入れにより変わるため、訪問前に公式情報またはGoogleマップをご確認ください。

周辺図

道しるべ

〒679-3301 兵庫県朝来市生野町口銀谷2028

手前のパンカの町屋から市川沿いを北東へさかのぼり、姫宮橋を渡って石段を登ると杜の中の姫宮神社に至る道行きと、左手の生野駅までを、手描き鉛筆スケッチ風に描いたイメージ地図イメージ図。正確な道順はGoogleマップで

この文章は、公開されている店舗情報や来店者の声を参考に構成した創作エッセイだ。 営業時間、定休日、メニューは変更される場合がある。 訪問前に公式情報またはGoogleマップを確認してほしい。