朝来市・生野町口銀谷 / ランチカフェ・生活雑貨
六月六日
六月六日、芒種にて
芒種(Boesch)

六月六日。 待っていた日が、来た。
芒種という。 昔の人は一年を二十四に割って、その一つにこの名を当てた。 稲や麦のように、芒のある穀物の種を蒔く頃だという。 芒は、のぎ、と読む。 籾の先に伸びる、あの細い針のことである。 そしてこの生野の町には、その節気の名を看板に掲げた店がある。 店の名に暦が届くのを、私はこの町で待っていたのだった。
朝のうち、町はずれまで歩いた。 田はどこも水を張り、植えられて間もない早苗が、水の上にまばらな列を作っていた。 苗はまだ頼りなく、風が渡るたび、水にうつった山のほうがよほど大きく揺れた。 土と水の匂いを吸い込んで、私は町へ引き返した。

店は、焼杉の板塀に白い漆喰をのせた、瓦の長い構えだった。 門の脇に置かれた小さな看板に、芒種、とだけある。 この銀山の町には、和の家に洋の間を組み込んだ古い普請が残っているのだという。 その一軒に、いまの人が手を入れて、昼飯と、暮らしの道具とを商っている。 銀を掘る仕事はとうに終わったと聞いた。 それでも銀が建てた家は残り、残った家に、新しい暮らしが入っている。
門をくぐり、玄関の戸を開けると、物の多い、それでいて静かな部屋だった。 窓際の細長い卓に着くと、目の前を硝子の棚が二段、窓を横切っている。 陶の水差し、鉢の緑、木を彫った小さな鳥、同じく木彫りの茸。 この店は暮らしの道具も商うというから、棚のものにも、やがて誰かの家へ移ってゆくものがあるのだろう。 硝子の向こうは裏庭で、緑が窓の際まで茂っていた。 飯屋というより、よその家のいちばん良い席に通されたようだった。

献立は、西洋の麺の膳と、飯の膳の二筋だった。 どちらにも前菜の盛り合わせが付くらしい。 種を蒔けと暦が言うのは、稲や麦のことである。 それなら今日は、飯だろう。
来たのは、皿ではなく、一枚の木の板だった。 小さな鉢や硝子の器が、十ばかり、板の上に並んでいる。 紫玉葱の甘酢、胡瓜を薄く巻いたもの、揚げた煎餅、青菜の椀、琥珀色に寄せたもの。 どれもひと口かふた口の量で、畝を切った苗床に菜がひと株ずつ植わっているような眺めだった。 種を蒔く日の昼飯として、これ以上の膳はないように思われた。

人参の甘露煮を口に入れたとき、ふいに、遠い畑が浮かんだ。 朝で、水の匂いがして、誰かが屈んで土に何かを埋めている。 私はそれを、ただ見ている。 いつの、どこの畑だったのか、いくら手繰っても出てこない。 ただ、種を蒔く季節の記憶であることだけは、確かだった。
板の菜をゆっくり片づけるころ、飯の膳が続いた。 季節替わりだという主菜を、私は急がずに食った。 どの菜にも、野菜そのものの味が濃く残っていた。
食いながら、生野で過ごした日々が、順によみがえった。 着いた日は、駅のとなりの丸太の家で洋食を食った。 古い商家の畳で長居をし、道端の店では、働く者らにまじって昼を済ませた。 その仕舞いが、暦の名を持つ店の、種を蒔く日の昼である。 季節と、土地と、私の旅とが、一枚の板の上で行き合ったような昼だった。
勘定を済ませて外へ出ると、日はまだ高かった。 町の東の際を流れる市川は、奥の谷から下ってくる。 峠の手前で私は、銀の下っていった道を逆さに上っているのだと気づいたのだった。 その源が、この谷の奥にあるという。 まだ、見ていない。 明日は、東の谷へ上る。
本日の皿
看板の皿
物語の余韻を、実際に選ぶ一皿へつなぐ。

品書きから
季節のパスタ
染付の深皿に、平打ちのタリアテッレ。トマトのソースに、賽の目に切った夏野菜がごろごろと絡む。昼の献立はパスタセットとごはんセットの二筋で、いずれも季節替わり、木の板にのせた前菜の盛り合わせが付くのだという。
公開されている店舗情報とメニュー写真をもとに構成。提供内容は季節や仕入れにより変わるため、訪問前に公式情報またはGoogleマップをご確認ください。
周辺図
道しるべ
〒679-3301 兵庫県朝来市生野町口銀谷600
イメージ図。正確な道順はGoogleマップでこの文章は、公開されている店舗情報や来店者の声を参考に構成した創作エッセイだ。 営業時間、定休日、メニューは変更される場合がある。 訪問前に公式情報またはGoogleマップを確認してほしい。